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  だまし続けた歴史

 1978年12月、大平内閣は「一般消費税」(5%単一税率・帳簿方式)の導入を決定した。いまから40年前の話である。翌年10月の総選挙で大敗して大平首相は断念した。
 1982年10月、中曽根内閣が成立した。中曽根首相は「増税なき財政再建」を掲げ、1986年7月「死んだふり解散」で衆参同時選挙に打って出た。その選挙期間中、中曽根首相は街頭演説で「大型間接税は導入いたしません」「この顔が嘘をつく顔に見えますか」と発言し続けた。その結果、衆参とも自民党が圧勝した。
 そうするとその年の暮れに自民党は「売上税」導入を打ち出し、1987年2月に「売上税法案」を国会に提出した。
 「舌の根の乾かないうちに」どころか、確信的に国民をだましたのだから国民の怒りは沸騰した。
 「売上税」は税率5%でインボイス方式の多段階税額控除方式の税制とされた。
 純粋の増税であることを踏まえ、政府は免税点を1億円以下、簡易課税適用上限も1億円以下とした。この免税点は87%の事業者が免税点以下に該当する額であり、だから大半の事業者は「売上税」と無関係だとホコ先をかわそうとした。
 ところが、課税事業者以外はインボイスを発行できないことになっている。そうすると免税事業者は取引から排除されるではないかとなった。免税ならいいかとなりかけたが、事業者は騙されなかった。インボイス方式は免税制度が事実上機能しない制度ではないかということが分かり、逆に中曽根首相のだまし討ちに怒りが集中した。
 法案はわずか3カ月後に廃案となった。
 しかし、土建国家が生み出した財政赤字を埋めるために大衆増税を選択する政府は、大型間接税導入に固執する。
 竹下内閣の成立で首相となった竹下登は、大型間接税について「6つの懸念」を表明した。

1 逆進的な税体系となり、所得再配分機能を弱めるのではないか。
2 結局、中堅所得者の税の不公平感を加重するのではないか。
3 所得税のかからない人たちに過重な負担を強いることになるのではないか。
4 いわゆる通税感が少ないことから税率の引上げが安易になされるのではないか。
5 新しい税の導入により事業者の事務負担が極端に重くなるのではないか。
6 物価を引き上げ、インフレが避けられないのではないか。


 これは懸念ではなく、大型間接税の解消しがたい負の面そのものである。政治家なら、解消できない負の面を持つ大型間接税は導入してはならない税であると国民を説き伏せるのが仕事である。ところが、竹下登は懸念にとどめ、懸念が薄らげば大型間接税導入もいいではないかとそそのかす手口にでた。
 3%という低い税率で逆進性は弱い、税率が低いから所得税のかからない人も加重な負担ではない、免税点3千万円以下・簡易課税適用上限5億円以下とするので事務負担は少なくなる、などなどから懸念するには及ばないとした。
 ときは平成元年(1989年)、それから30年間は消費税増税の歴史である。消費税にかぎれば純増税である。税率の引上げが安易になされてきた。
 改めて「6つの懸念」を見てほしい。消費不況のせいでインフレにはなっていないが、物価は消費税分だけ確実に上がったことを含め、懸念はすべてがそのまま国民にのしかかっている。なお、導入時に奢侈品は物価が下がったことを忘れてはいけない。

  だましの手口

 そのうえで、だましの手口を少し掘り下げてみたい。
 まず、「消費に担税力がある」というのだが、上手いことをいうものだ。このウソを見抜くために、所得とは何かを見てみたい。
 所得というのは自由に使える手元に残った資金ということであって、個人の所得は「所得=消費+貯蓄」という等式で表される。
 「所得=消費+貯蓄」……この式を忘れないでいただきたい。
 ここでいう所得は可処分所得であって、所得税や社会保険料を納付した残りの手取りである。課税済み所得といいかえてもいい。所得をもって消費し、余れば貯蓄となる。
 この等式の消費に対して消費税を課税すれば、課税済み所得にさらに課税することが一目でわかる。所得に対する二重課税である。
 この等式を法人税の観点で表せば「法人所得(課税済)=原価+経費+内部留保」となる。事業者は、個人の消費にあたる原価や経費に消費税を課税されても転嫁によって負担することはないから、そこの二重課税は生じない。
 では、「内部留保」に課税するとどうであろうか。麻生さんは「二重課税になる」といって取り合おうとしない。
 改めて個人の所得の等式に戻り、「貯蓄」に課税するとすればどうであろうか。大半の国民は消費を削ってためた貯蓄に10%で課税となれば「二重課税ではないか」と怒るであろう。
 
 課税済み  二重課税     二重課税
   ↓       ↓OK        ↓NO
  所得 =   消費   +   貯蓄

 消費に担税力があるのなら、貯蓄にも担税力があるとしてもいいはずだが、二重課税があからさまにわかるからいいだせないに過ぎない。
 消費税の二重課税には一言も触れず、「消費に担税力がある」という人にいいたい。ならば「貯蓄」にも「内部留保」にも担税力があるので、二重課税でも構わないから、とにかく何でも課税しようといってほしいものだ。

   国民に問いたい

 消費には、生きていくための必然としての「基礎的消費」と欲望を満たし誇示するための「顕示的消費」がある。
 最近は水にも値段の違いがあるので「基礎的消費」は万民に同額とはいえないが、少なくとも生存のための消費は誰もが同じような消費額になるであろう。富裕層は高級食材を食べるので低所得層や中間層とは消費額が違うという人もいるが、最低生活の保障という観点でものを考えようということである。
 とすれば、この「基礎的消費」に課税して生存を脅かす政治は、国民の命と暮らしを守るべき国家の政治としては真逆のことになる。もし課税が許されるとしたら、生存が脅かされない社会的保障が制度としても運用としても確立されている場合であろう。
 一方、消費には富裕層の欲望を満たし顕示するための「顕示的消費」がある。いわゆる奢侈品である。これには担税力があるとして、物品税が課税されていた。物品税は課税対象により税率が異なり複数税率である。なお、高い税率であった宝石や毛皮などは消費税導入で値下がりとなった皮肉な歴史がある。
 キャビアやフォアグラなど高級食材に高率の物品税をかけてもよいわけで、物品税は逆進性を一定程度防ぐことができる。
 「チコちゃん」ではないが、改めて日本国民に問いたい。二重課税である消費税をこのまま認めるのか、生存を脅かす逆進性の一般消費税か、「基礎的消費」には手を付けず逆進性を一定防ぐ個別消費税か、いま考え直す時ではないかと。
 平成最後の年は一般消費税を廃止するにふさわしい年ではないか。