憲法に定める4つの義務
憲法は国民に4つの義務を規定している。
条文とつぎのとおり。
① 第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
② 第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
○2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
③ 第27条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
④ 第30条 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。
①は自由と権利の保持義務、②は教育の義務、③は勤労の義務、④は納税の義務といわれている。
①から③の義務に対しては、権利が先に規定され、権利と義務の関係が対になっている。
しかし、④の納税の義務については、対になるべき権利が見当たらない。
おかしいと思うのではないだろうか。
納税の義務に対する国民の権利は厳然としてある
第30条で規定する「法律で定めるところにより」の解釈は、法律の定め以外に税金を納める必要がないという国民・納税者の「権利」を規定しているという。
租税法律主義といわれており、憲法は次の規定を置く。
第84条 あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。
時の権力者によって勝手な課税はされないという権利である。税の関する法律の制定も改正も憲法の規定に違反できないから、つまるところ、憲法にそった税金だけを納める権利であり、それと対になる義務となる。
権利は租税法律主義だけではなく
税金の使われ方を監視する権利もある
実は、「納税の義務」に対応する国民の権利にはもっと重要なものがある。
義務を課し国民に納税させた税金の使われ方に関するものだ。
納めた税金は国の財政あるいは国費・公金となる。
その財政・国費・公金が時の政権によって私的に使われたりしたら、国民の基本的人権を守る財政的基盤がなくなるから、憲法は勝手に使えない措置を盛り込んでいる。
第83条 国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。
第85条 国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基くことを必要とする。
第89条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
第90条 国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを国会に提出しなければならない。
第91条 内閣は、国会及び国民に対し、定期に、少くとも毎年一回、国の財政状況について報告しなければならない。
簡単にいうと、国民、国会、会計検査院に税金の使われ方を監視する権利を保障し、政府には説明責任を課しているわけだ。
「納税の義務」は、半面で国民に税金使途監視の権利と、政府に対しては説明責任義務を対としておいているのである。
加計学園・森友学園の使途は憲法違反
政府は説明責任果たさず憲法違反
条件に反する学部新設のために「公の財産」を「公の支配に属さない教育事業」にタダでくれてやるのは憲法に違反している。
9億円の価値ある土地を森友学園に売却するとき、8億円も値引きすることも同じである。
国民は監視の権利を行使し、おかしいから調べろ図抗議行動を行っている。
国会も野党も怪しいから調べて説明責任を果たせと追及している。
ともに納税の義務の半面として憲法が保障している権利の行使だ。
ところが、政府は説明責任を尽くさないどころか、資料を隠し逃げ回っている。
この問題は、憲法問題そのものであり、うやむやにしてはならない。