ze69.jpg

  受取配当益金不算入制度の改正

 27年度税制改正で、受取配当益金不算入がまた変わった。
 長年、法人税を注目してきた筆者には、またまた法人税が変質させられ、資本の都合によって捻じ曲げられたと評価するものだ。

 まず今の法人税の変質ぶりを指摘したい。
 連結納税制度・グループ法人税制の導入は、資本主義の本質である「資本は増殖しつづける」という根源に対して、税金を掛けない、つまり税金で資本の増殖を阻害しないでくれという財界の要求に沿ったものだ。

  ここの税制要求がまかり通る
a0002_003010.jpg

  法人税は、事実上3つの法人税が一つの法律になっているようなものである。
 簡単にいえば、連結やグループを一つの資本の運動とみて課税しないということに尽きる。「資本取引」「内部取引」だというわけである。実は、この考えが受取配当益金不算入改正のベースにある。

  益金不算入のそもそも

 シャウプ勧告自体、法人税は税金の負担者を法人とせず、最終的には配当あるいは残余財産の分配によって個人に帰属するという虚構の上に成り立つ法人税を構築した。
 その立場から、受取配当の全額益金不算入が措置された。
 「法人擬制説」というやつで、虚構とはいえ、筋は通っているわけだ。
 ところが、今回の改正でより鮮明に打ち出したのが、「企業の株式保有は、支配関係を目的とする場合と、資産運用を目的とする場合」(H26年6月・政府税調)に区分し、前者は課税せず、後者は基本的に課税しようという理屈である。
 後者を即座に100%課税すると反発を招くから、若干の益金不算入を認めるといった措置を施しているに過ぎない。

  実在説に立ったのか

 これはシャウプの法人擬制説とはまったく論点が違う。法人の最終帰着者は個人という概念はここにはない。ということは、「法人実在説」に基づく論点ということになる。
 企業を資本活動の実態と捉え、その資本が増殖形態としての支配関係を繰り広げることに対しては課税せず、支配関係を目指さず単なる配当稼ぎは法人の所得として課税するというわけだから、法人を主体として判断しようということになる。

  理屈なし 都合よく使い分け
   競争で大資本を有利に


 ところがここに仕掛けがある。
 法人実在説に立てば、受取配当益金不算入などという仕組み自体に意味がなく、法人の所得は総括的概念であるから、所得はすべて課税所得となる。そこに支配が目的だとか、資産運用が目的だという区分は入り込まない。
 実在説に立つのであれば、きっぱりと受取配当益金不算入制度を廃止するしかない。それが理屈というものだ。

 法人税の基本概念を都合よく使い分け、資本の増殖運動は税金からフリーにするという財界の要求を丸呑みした改正である。
 資本主義は資本の増殖運動の競争であるため、この改正は競争に影響する。
 法人税率を引き下げて大資本に恩恵を与えた改正に続き、他の資本を飲み込む大資本に競争的優位を与え、その力のない中小資本には課税強化で競争力を低下させることになる。

 最近の法人税の改正は、大資本の言うがままで理屈も何もあったものではない。これに対して、学者や業者などからの批判や反論もあまり目にしない。
 消費税増税の裏に隠れて、荒らし放題の法人税に対して理論的に切り込む学者の出現を願いたいものだ。