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   80歳の老学者の警鐘

 東京大学名誉教授で日本政治外交史を専攻していた三谷太一郎氏が81歳で上梓した著書「日本の近代とは何であったか 問題史的考察」(岩波新書)を読んだ。
 三谷氏は、序章でこの著書で論じる課題を述べている。
 「現在の日本が置かれている歴史的位置の確認を含めた日本近代についての総合的考察を試みて……日本近代の概念的把握の手掛かりを見出すのが、本書の課題であります。」とする。
 これだけでは単なる歴史書と思われるかもしれないが、そうではない。
 「アベ政治を許さない」としたためた金子兜太さん(歌人)。なぜ安倍と漢字を使わなかったかと言えば、漢字を使う価値がないからだといいきるほど、安倍政治をしかりつけている。
 三谷氏がこの時期にこの本を書き上げ世に問うたのも、金子兜太さんと同様に多分に安倍政治をしかりつけるために違いない。
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   安倍政治のテーマと切り結ぶ 

 安倍首相は、「戦後レジームからの脱却」を標榜し、戦争できる国に変え、教育勅語を園児に朗読させる森友学園を支援し、原発を再稼働し、国民監視社会を法定化し、国会を完全に無視する政治姿勢を貫いている。最終目標は改憲。これが安倍政治のテーマである。
 三谷氏はこの本で4つのテーマを取り上げているが、そのまま安倍政治のテーマと対応しているからだ。
 ここで梗概を述べるつもりはないが、多くの方がこの本を読みこむなら、いまの安倍政治は何が問題で、その誤りを正さなければ民主主義も平和も破綻することにいきつき、やがては日本がそして自分自身が破綻することに思いをめぐらせ、だからこそ今なすべきことを考えることになるのではないかと思う。

  三谷氏が取上げた4つのテーマ

 ① 「議論による統治」と日本の議会政治の問題
 ② 日本資本主義の全機能が集中している原発の事故が惹起した問題
 ③ 戦前の日本の植民地帝国化がもたらした負の遺産
 ④ 近代天皇制、とりわけ皇祖皇宗と一体化した教育勅語の問題

 三谷氏は4つのテーマから、「日本の近代化は一面では極めて高い目的合理性をもっていましたが、他面では同じく極めて強い自己目的化したフィクションに基づく非合理性をもっていました。過去の戦争などにおいては、両者が直接に結びつく場合もありました。」と分析し、「今日でも政治状況によっては、そのような日本近代の歴史的先例が繰り返されないとは限りません。疑似宗教的な非合理性が儀式と神話を伴って再生し、それに奉仕する高度に技術的な合理性が相伴う可能性は残されています。」と警鐘を鳴らす。
 とりわけ教育勅語の問題は、天皇の臣民たる者への天皇の教えとしてのフィクションとして成立した過程を事実に基づいて描き出しており、復活させてはならないことを強く訴えるものとなっている。

  日本が進むべき道 

 三谷氏は、単に警鐘を鳴らすだけではなく、これからの日本が歩むべき道も示す。
 「重要なのは各国・各地域のデモクラシー(自由と平等の価値観)の実質的な担い手です。また、デモクラシーにとって平和の必要を知る『能動的な人民』の国境を越えた多様な国際共同体の組織化です。」「そのためには、なによりもアジアに対する対外平和の拡大と国家を超えた社会のための教育が不可欠です。」と構想する。
 そのうえで三谷氏は、1921年にワシントンで開催された国際会議で構築されたワシントン体制をモデルとすべきとする。
 ワシントン体制の特質の一つに不戦条約があり、不戦条約は日本国憲法第九条の歴史的先例だと指摘する。
 そして最後に、「ワシントン体制は……無秩序と無理念に流れる今日の世界および日本にとって、歴史の教訓とするに値すると思います。少なくとも、ワシントン体制の重要な遺産を憲法第九条に遺している日本は、そのことの意味を考えるべきです。」と締めくくる。

 アベさんの歴史感は戦前への回帰だが、是非この本を読んでほしいものだ。
 歴史に悪名を残す宰相ではなく、歴史に名を残す名宰相となる道が示されているぞ。

 そして、民主主義破壊に怒りを持つ国民は、改めて歴史を学んで声を上げよう。この本は大きな刺激を与えてくれる。