ミステリー作家貫井徳郎の作品に「乱反射」(朝日文庫)がある。
ミステリーなので詳しい内容を紹介するわけにはいかないが、街路樹の倒木によって幼い子供の命が奪われる事故を題材としている。
事故がなぜ起きて、その子の命がなぜ救えなかったのか。作品を読むと自分の日常生活における何気ないことがうそ寒くなる怖い作品だ。
4月14日に川崎市で街路樹の枝が折れて落下し、6歳の女児が重傷を負ったというニュースが流れた。調べてみると2012年には大垣市で同様の事故が発生し、当時6歳の女児が死亡している。
「乱反射」が題材とした事故が現実に起きているわけで、「乱反射」と重ね合わせて思いを巡らせていると、韓国から痛ましいニュースが流れてきた。
旅客船セウォル号が沈没し、多数の死者・行方不明者がでている大惨事である。
修学旅行で乗船した高校生が多数犠牲になっており、言葉もない。
沈没の原因がいろいろ取りざたされているが、その報道に接して、ここにも「乱反射」が重ねあわされた。
結論をいうと、「合成の誤謬」といわれているものだ。
「乱反射」が描き出したのは、一人一人にとっては合理性があり、「よし」であったり「この程度はいいだろう」として選択したことが、合成されると最悪の結果を引き起こすという「合成の誤謬」である。
セウォル号を改装して客室を増やした…旅客会社にとっては経済的合理性があり、いいことだ。
規定を超過して積載した…これまた経済的合理性があり、儲けになる。
コンテナや車両の固定は簡易なものとした…時間と労力の無駄を省いてすぐ出航でき利用者に喜ばれる。
一つ一つは合理性があるように見えて、これが合成すれば誤謬の塊になる。
セウォル号はまさに最悪の塊と化していたのではないだろうか。
「合成の誤謬」は本来経済分析で用いられる概念という。なるほど、消費税増税でもこの現象が生じている。
消費者は税率引き上げの前に買いだめに走った。生活防衛のために、一人一人の行動には経済的合理性があり、それを咎める理由はない。
ところが、中小の食品製造会社や日用品販売会社などは、販売先から4月以降の注文が激減し、パートやアルバイトの出勤を止めている。つまり、日本の多くの時間給労働者の賃金が支払われなくなったり、大幅減少がいま起きている。これらの人々のこれまでの賃金水準復帰には数カ月を要するといわれている。
買いだめに走った行為が、ある人の生活を脅かし、経済を停滞させるという「合成の誤謬」をまきおこしているわけだ。
人々の行為が「乱反射」し、誤謬を引き起こすという警鐘。
経済的合理性を追求することが「善」として当然視される現代社会だからこそ、その行為がどのような影響をもたらすのか、よくよく考えて行動しなければならないようだ。