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  使用済核燃料の処理
  世界のどこの国もできていない

 「原発は安全」というが、少なくとも二つの技術が確立されていない未完の技術体系のもとで運転されているというのだから、これまでの無関心と無知を恥じるとともに、ちょっとまってくれといいたくなる。
 ひとつは、核燃料を燃やす圧力容器とその格納容器に完全を求めることはできないということ。多くを語る必要がないほど、フクシマが実証した。容器が破壊し、放射性物質が漏れる可能性をいまの技術ではゼロにできない。ということはいつでも起きうるということである。
 もうひとつは、使用済核燃料の処理について、処理方法が定まっていないということ。
 原発で発電に使用した核燃料は燃え尽きてなくなるのではなく、高レベル放射性廃棄物としてカスが残る。
 再利用する方法が考えられ、世界ではイギリスとフランスで再処理が行われている。日本でも六ヶ所村で試験されているが、軌道に乗るめどが立っていない。アメリカは再利用しない方針で再処理をしていない。問題は、その場合でも液体の高レベル放射性廃棄物がでるということ。つまり、核燃料として使ったばあい、どうやっても高レベル放射性廃棄物が出てしまうのだが、この処理がまだまったくなされていないというのだから驚く。

 立て続けに2本の映画を見た。
 1本は「100000年後の安全」というデンマークの監督の映画。
 いま渋谷などで上映にかかっており、順次広げる予定だとしている。
 作品はフィンランドのオルキルオト島に建設中の、原発から出る高レベル放射性廃棄物の最終処分場「オンカロ(隠された場所)」と呼ばれる施設をめぐるドキュメンタリー作品。
 高レベル放射性廃棄物は生物にとって安全な状態になるまで、10万年間かかるという。
 フィンランドでは、固い岩盤を地下500メートルまで掘削し、自国の原発から出る放射性廃棄物をそこに埋め、やがては埋め戻してしまうという最終処分場を世界で初めて建築している。正式に運用されるのは2020年を予定しているそうだ。
 10万年というのは1,000世紀である。ネアンデルタール人の時代から現代まで1万年しかたっていないことを考えると、数万年先の人間に「放射性廃棄物が埋まっている、危険だから掘り起こすな」と正確に伝えることができるのかも真剣に討議されている。
 SF映画のようだが、廃棄物の処理が技術的に解決できていないための故である。
 アメリカはネバダ州に最終処分場を決めたが、まだ建設には着手していない。最終処分場を決めたのは世界でこの2国だけだという。
 日本はまったく決まっていない。日本の場合、地下に埋めても安全な場所はないのではないか。原発は「トイレのないマンション」だと不破哲三氏が指摘しているが、そういうことだ。

 もう一本は「東京原発」という日本の映画。これはビデオレンタル店で貸出している。2003年の作品で娯楽作品なのだが、フクシマの後で見ると背筋が寒くなる。
 日本の原発を巡る利権や、官僚や御用学者の思い上がりと間抜けぶり、仕組まれた安全神話や国民の無知が余すところなく、しかも皮肉たっぷりに描き出されていて、笑うに笑えない映画になっている。
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 テレビの映画劇場で放映すればよいのだが、内容が内容だけにテレビ局の腰が引けて放映されそうもない。
 レンタルで気軽見ることができるので、ぜひ鑑賞をお勧めしたい。

 原発の被害は終息しそうもない。被爆の危険はなくならない。農作物や畜産、漁業の被害はさらに広がると思われる。人間の生命と健康に重大な影響を及ぼすものが、未完成の技術のもとで運転されていることがやっと国民の共通認識になりつつある。
 電気の利用と原発問題について、国民的な意思統一と根源的転換が必要だと思う。