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   国民の税金を使い 弔意の強要は 内心の自由を脅かす

 故安部晋三元首相の国葬が9月27日行われる。 戦後国葬は吉田茂首相以来となる。
 その前は、皇族を除けば太平洋戦争で戦死した連合艦隊司令長官“山本五十六”以来である。
 その時の国葬(1943年)の状況を朝日新聞はこう伝えている。
 『死してなほわれわれと共にある太平洋の守護神』 『葬列の沿道に沸いた嗚咽は、英魂の精忠にこたえ続く一念の表現』 戦意高揚を担った罪を改めて思う。
 国葬には哀悼と称賛が一体化する恐れがある。 吉田首相の国葬前後の紙面を見ても、彼の政策の功罪を論じることはなく、非業の死をとげた政治家を追悼するするというものであった。
 皆で悼むことが、みなでたたえることに自動的につながってしまう恐れを感じる。(天声人語より引用)

   「国葬」反対が多数 ・・・ 各紙の世論調査

 安倍元首相の「国葬」実施をめぐり、報道各社の世論調査で「反対」「評価しないが」が多数を占めている。
 時事通信の8月の世論調査では、「国葬」反対は47.3%、賛成は30.5%。 NHKでは、「評価しない」が50%、「評価する」が36%に達した。
 無料通信アプリ「LINE」を使ったアンケート調査では、長崎新聞では「反対」「どちらかといえば反対」が75%、 南日本新聞では72%に達してた。
 自民党幹部は、野党から出ている国葬への批判に対し、「野党の主張は国民の声や認識とはずれているのではないか」と自らのずれを覆い隠そうとしている。
 弔意の強制は、憲法19条の思想良心の自由、同20条の信教の自由に反するものであり、特定個人の国葬自体憲法上問題がある。

 自民党議員の旧・統一教会との関連では、宗教の自由・内心の自由などとカルト集団を擁護するが、国葬による“弔意の押し付け” ・・・学校での弔意の強要、官庁での半旗の掲揚、弔意の強要など・・・は内心の自由への脅迫である。

 安倍氏の業績は、アベノミクスで国民生活を破壊(この間、日本経済は10年の停滞と後退で世界の経済成長から大きく後れを取り、今だその影響に国民は苦しんでいる)し、憲法違反の安保法制を強行、憲法9条の改悪や目論み、靖国神社参拝、侵略戦争の正当化と数々の軍国主義的思想・政策を推し進め、森友・加計、桜を見る会の疑惑など真実を覆い隠したままである。
 安倍氏の「功績」のみを礼賛した「国葬」は、安倍氏の残した“負”の「遺産」を免罪することに繫がる。 「国葬」の孕む危険性がのぞかれる。

  「国葬」・国費で賄う国の儀式・・・元は、我々国民の税金

 Tax-Payer(タックスペイヤー)― 直訳すると「税金を払う人」である。
 「Pay」とは、「払う」という意味の他に「割りに合う」という意味もある。 採算に合うことを「ペイする」というが、まさにそれである。

 日本では「納税者」という。
 そして税金を「納める」という。 「納める」とは、お上に召し上げられる。 採算に合わない「ペイはしない」という意が強い。

 日本と欧米の税金に対する考え方の違いは、「税金を払う人」に対する罰則の重さにも表れている。脱税に対しては、欧米の罰則は日本よりもはるかに重い。 脱税は国家に対する詐欺であるという考え方に根ざしている。

 払うべきものはしっかり払うが、その代わり税金を使う国家や機関を厳しく監視し、批判する。 「ペイ」したのだから、それに見合うだけの「使い方」してもらわなければならない“監視”する、という考え方だ。

 日本の圧倒的な人はサラリーマンで「源泉徴収制度」のもと税金が天引され納税される。当然、納税意識は形成されず、意識もなくなる。
 Tax-Payer(タックスペイヤー)という意識は醸成されず、税金を「取られる」という意思になる。 税金は「取られる」「仕方なく収める」という感覚である。・・・ 税金なんて「取られるもの」だから「取られないようにしよう」という発想も生まれる。

 安部元首相の「国葬」経費、政府が倍増を目指す防衛予算・・・。いずれも私たちの税金から支払われる。 「タックスペイヤー<国民>」・「マネー<お金>」 である。

 国会議員の多くが、「国が支払う」と言うが、『国民が支払う』のであって、誤ってはならない。

 国内総生産(GDP)比 <安倍政権では全く停滞どころか後退してしまった> で国の借金(上記論理では国民の借金)は先進国の中で日本が突出して多く、額も増え続けている。 国の借金1255兆円(国民一人当たりの借金・将来世代のツケ1000万円)を超えている。

 国の予算や税金の使われ方についてTax-Payer(タックスペイヤー)という意識を高めていかなければならない。

 国葬も「国が払う」ではない。 「国民が払う」 である。