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 啓示とは、神または超越的な存在により真理や通常では知りえない知識が開示されることをいい、宗教上の用語として用いられる。
 キリスト教は自らを「啓示宗教」だとしている。

   神は至る所にいた

 この啓示が放っている意味をちょっと拝借して世間の動きをみると、神か超越的な存在によって通常では知りえない知識が開示されていることがあり、それをしっかり受け止めれば有難い「悟り」を開くことができるのではなかろうか。まさに神の啓示は至る所にあるというものだ。

   公安警察という神

 一般国民にとって、公安警察なんておよそ縁遠い存在で、まさに神か超越的存在である。
 そこは、捜査権という強力な権限を持っているらしいことは凡そ分かっているが、ごく普通の社会生活・経済活動をしている自分達に襲いかかってくる組織だとは頭の片隅にもないだろう。
 ところが、大川原化工機事件の報道に接すると、神である公安警察が事件をデッチあげて、無実の人間を犯罪者に仕立てあげたていたというのである。裁判でもそれが認定された。

   神からの啓示

 そこで一般人である私は、この公安警察=神から啓示を受けるのである。
 汝、組織としてチェック機能を設け疎んじるな、汝、チェック機能としての警告には真摯に向き合い、必ず対応しろ、と。

 というのも、大川原化工機事件では、捜査方針に異を唱えた警部補がいたのであるが、上司の警部から一蹴されたことが明らかになっているからだ。
 毎日新聞は、「上意下達」が重んじられる警察組織のなかでも、幹部の意向が強く影響する公安警察の体質が冤罪事件を生んだ、と報じている。
 つまり、公安警察には組織としてチェック機能を果たす部署がなくはないのだが機能していない。それでも個人的にチェック機能を働かせたものがいたのだが、あえなく潰され、チェック機能としての警告に対応する組織になっていなかったのである。
 結果、「不祥事」というのは甘すぎる表現であって、有体にいえば、彼らは犯罪を犯したのである。
 本来、公務員職権濫用罪で数人の公安警察官が罪に問われなければならない。かつ、集団で犯罪を犯す組織と認定してもよいわけで、笑えない話、警察庁の組織犯罪対策部が取り締まるべき組織だといえる。
 組織の解体か、解体的出直しを求めらるところまで落ち込んでいる、ガタガタの組織だということだ。

   片や大川原化工機は

 一方、大川原化工機は社長ほか幹部の長期拘留にもかかわらず、機器の生産と市場確保に揺るぎが生じなかった。
 組織としての三要素である「ヒト、モノ、カネ」の水準が高く、組織の足腰がしっかりしている会社だからこそ、危機に動じることなく「職責」を果たしていけていると評価されている。
 ここでも啓示を受けるのである。
 汝、組織の足腰「ヒト・モノ・カネ」をしっかり作り上げて鍛えよ、汝、そして与えられた「職責」を真摯に果たすことだ、と。

   「職責」を果たせ

 仮に公安警察が与えられた「職責」を真摯に果たしていれば、このような犯罪を犯すこともなかったであろう。みんながそれぞれの職責をしっかり果たし、そのことによってよりよい社会を維持していくということが、実は凡庸に思われるかもしれないが大事なことなんだと、啓示を受けた次第である。

 この啓示を受け止め、税理士法人むさしの会計は、足腰をしっかり鍛え、与えられた「職責」をしっかり果たしていきたいと考えている。