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 正直、人間というのは危険な動物だと考えざるを得ない。
人類として区分される動物群は、知恵が発達するのに比例して獰猛さが培養されていく体質を持っていると私は思う。
高名な科学者や研究者の科学的検証に基づく話ではないが、私が知る歴史を見れば、疑うことなく実証されているといえる。

 人類が増える。それは、知恵によってである。増えるにしたがって、食料確保が必要となり、そのための知恵が発達する。その知恵の中に獰猛という要素が織り込まれている。食料増産や文明発達は獰猛の高度化に他ならない。
獰猛という意識と行動が基本的生存要件として人類に織り込まれており、知恵が制御するのではなく、獰猛さが高度化していくことを歴史が教えている。
世界を見ても、日本を見ても、獰猛な人間達の振る舞いが後を絶たず、より過激で高度化しており、実に恐ろしい。

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  個人単位で自分を振り返れば、獰猛の持ち合わせを否定することはできない。知恵で制御している自分がいて、なんとか平穏な生活を送っている。
この、個々の営みを、人類全体の営みにするしか平穏な人類の生活・生存はないのであろう。
その知恵の到達点として、かなりたやすく、憲法前文と9条によって確認的に我々は意識することができる。
個人として、人類を制御する力もなければ影響力もないが、少なくとも自分の獰猛は制御し、周りの同胞たちと共有できればと思う。

 そんなことを考えざるを得ない今の時代に、むさしの会計と連携している大久保賢一弁護士が、日本評論社から「『原爆裁判』を現代に活かす……核兵器も戦争もない世界を創るために」を出版した。
この本について、「しんぶん赤旗」に、関西学院大学教授・冨田宏治氏の書評が掲載されたので、ここにアップした。
書評に目を通していただき、そして本を読んでいただき、大久保弁護士が魂を込めて書き記したことを多くの人が受け止めていただければと思う。