税金への関心
所得税の基礎控除引上げが一気に吹き上がっている。
国民民主党の選挙戦略がそれなりに国民の心に響いたのは間違いなく、財源は政府の仕事だと丸投げしているのは無責任だという意見もあるが、功罪を考えれば課税最低限問題を引きずり出した功績は極めて大きい。
そもそも所得税に基礎控除があるのは、人民が闘争によって勝ち取ったもので、上から与えられているものではない。憲法でもそのことを権利として位置づける規定を明記している(憲法25条)。
戦後制定された日本国憲法は国民主権を宣言し、統治者は国民であるとしている。つまり、国民は治者であるとともに統治者でもあるのだ。
その統治者たる国民が、次の憲法規定を踏まえて最低限度の生活の水準を決めてよいのであって、基礎控除の額は国民が選挙で選出した議員によって運営される国会で決めることなのである(憲法41条、84条)。
国民は、今回の選挙結果によって、久々に主権者たる意識、民主主義の在り方を触発されているといってよい。
民主主義の見地からは、国民の代表機関により定立される税制改正によって改訂された所得税法に従って納税義務を果たすことになって、初めて治者と統治者の同一性が期待されることになる。
その意味でも、玉木代表の行状はいささか品にかけるが、国民民主党が巻き起こした「年収の壁」問題は久々に国民にとって自覚を促す大きな意味を持つといえよう。
憲法
〔生存権及び国民生活の社会的進歩向上に努める国の義務〕
第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
② 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
〔国会の地位〕
第四十一条 国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。
〔課税の要件〕
第八十四条 あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。
財源も民意は意思を示したのではないか
さて財源だが、これも基礎控除引上げと同じで、トータルな議論が必要であることは確かである。
だが、民主主義の見地から肝心なことは、選挙による国民の意思表示は「庶民の手取りを増やす」ということにあったのであり、ここを外してはならない。
国権の最高機関である国会で「庶民の手取りを増やす」ために所得税の基礎控除を引上げることを決めることがまずやるべきことなのだ。
そうすると、国と地方自治体の税収が減少する。その結果、所得税減税で庶民の手取り額が増えたとしても、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の水準を下げざるを得ないことになる。そうすると、社会的にみると庶民の生活水準が低下しかねない。
そこで大事なことは、その財源をどうするのかだが、選挙で示された民意を汲むなら、生活に困っていない富裕層の個人や内部留保を増やし続けている企業に財源を負担してもらうことも民意は含んでいたと判断してよいのであろう。
つまり、今回の選挙による民意の選択態度は、庶民を助けろ、金持ち・儲けている企業は応分の負担をしろよ、というところにあると捉えるのは深読みではないはずだ。そのぐらいのことは、選挙で選ばれた者たちは考えるべきだろう。
所得税の累進税率の引き上げや金融所得課税を強化する改正による高額所得者に対する大増税と、内部留保に対する法人課税の大増税による財源確保を、基礎控除引上げに対する財源措置として国会は立法化することが選挙で示された民意に応えることだといいたい。
富裕層個人や金余り企業が、財源を負担しろという民意はないので不当だというのであれば、その財源確保策を巡って再選挙して国民の判断を鮮明にすればよい。
民主主義とはそういう時間がかかるものなのだ。そして、治者であり統治者である国民は民主主義の見地において成長し、日本の国としてのありようも進歩していくことになる。
さて、玉木氏はどう出る?
大きな転換と材料をもたらした玉木氏が、国民民主党に寄せられた民意を汲み取って、富裕層や金余り企業に対する増税を主張するのかどうか、大いに注目される。
逆に、そこに踏み込めず、それらの金持ちたちの腰巾着に終わるのであれば、国民からその程度かと見透かされることになろう。