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   もう一声 

 「民主主義にはどうしてもコストがかかる」。
 6月8日、福岡市で講演した麻生自民党副総裁は通常国会で議論されている政治資金規正法の改正をめぐり持論を披露した。
 ネット上では、「お前が言うな!」とツッコミが入ったとか。
 投稿者の気持ちはわかるが、浅い指摘ですな。
 私なら、「麻生さんよく言った。そして、麻生さんにはもう一言いってほしかったよ」とツッコミを入れたいね。

 「民主主義にはどうしても時間がかかる」。
 「だって、肝心なところは検討、検討で先送りしてじっくり時間をかけなきゃならんし、領収書の公開は10年後にするんで、とにかく時間をかけて検証するのが民主主義なんでねぇ。おめえら、そのぐらいはわかるだろ」。と。

   正論

 国民をなめきっている麻生さんだが、民主主義に関する発言としては、まさに正論だと思う。
 民主主義にはどうしてもコストと時間がかかるのだ。それは、民主主義というのは、多数が合意して多数が幸せを享受する社会を作ることが目標だから。
 岸田さんが見えを切っている子育て支援も金がかかる。定額減税も金がかかる。
 社会保障は金がかかる。公共事業も金がかかる。
 多数が幸せになるためには金がかかる。
  
   税金の出番

 その財源を手当てするのも民主的にやらなければならない。
 社会的共同営為であるから、税金でお金を確保するとしてもふさわしい方法が協議され、法律化されて初めて税金として集められる。
 人類が民主主義の歩みを進める中で、「応能負担」がふさわしいという一定の合意ができた。適応するのは「累進税率構造の所得税」である。

 ところが、稼ぎのいい人たちや団体にすれば、面白くない。
 選挙制度が確立されたとしても、金を持っている人間や団体ほど様々な手を使って票を集めることができるので、これらの人や団体が中心の政府が誕生する。
 政府は「租税高権」をもち、租税をいじることができる。古来、税金の賦課・徴収は支配の根幹である。国会等の協議する場で協議されるが、大抵は稼ぎのいい人や団体で構成する政府は多数を占めるので、時間はかかったとしても彼らが望む税金が施行されることになる。

   好都合な「間接税」

 稼ぎのいい人や団体にとって一番好都合な税金は「間接税」である。
 なにしろ、商売をしている人や団体は「間接税」を負担しない。負担するのは商品やサービスを金を出して買ったり受ける個々の人たちだからである。
 そして、「間接税」は価格に上乗せされるので、買う人は税金を負担しているという感覚をもちにくい。
 「間接税」が賦課されないのであれば100円の商品。
 10%の消費税を課せば、110円の商品の値段になる。生きるために購入しなければならない人は、110円の商品を買う。税金を10円負担しているなんて考えない。
 「間接税」のすごいところは、100円の商品に対する税率には上限を気にする必要がないということである。
 200%の税率だとすれば、本体100円、税金200円となるが、価格は300円になるだけだ。生きるために人は300円の商品を買わざるを得ない。その人の所得を一切考えない税金であるから、こんな税率もできてしまう。
 買う力のない人は買わなければいいというだけだ。だから、未納額が発生することもない。

   所得税の限界

 所得税はこうはいかない。
 所得が100円しかない人に200%の税率で所得税を課税すると、200円の税金を納めなければならないが、100円しか手元にないので100円は未納となる。この未納額は構造上永遠に政府は徴収できない。つまり無意味な税金の賦課となるので、おのずと所得の範囲内の税率、要は100%が限界となる。

 こうして、世界の大半の国は間接税である付加価値税(日本は消費税)を税源の中心にシフトさせてきたが、これは明らかに民主主義を後退させるものである。

   麻生発言に戻って

 麻生さんのコスト発言からは必然的に税金の話になる。
 「民主主義はどうしてもコストがかかる。税金で手当てさせてくれ。その税金は民主主義の大原則である「応能負担の所得税」がふさわしい。俺に任せてくれ」。といえば、麻生さんは歴史に名をのこず政治家になったとおもう。
 ツッコミが得意なはずの麻生氏のツッコミがいまいちだったわけだ。
 残念。

 ちなみに、楽しみにしている「笑点」のツッコミレベルが落ちていて、情けない。メンバーを麻生さんに入れ替えたほうがいい。
 あれれ、麻生さんが乗り移って、つい余計なことを言ってしまった。