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   何を基準に「公平」とするか ?

  税金にかかわる議論で常に「公平」という言葉が飛び交う。
 しかし「公平」とは何か? 何を基準に「公平」を計るのか? といった「公平」原則の議論・説明はないまま「公平」という言葉だけが独り歩きしている。
 財務省の説明に「応能負担」という言葉はない。あるのは「公平・透明・納得」という文言だけだ。この文言の“視点”は理解できない。
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 納税負担の「公平」原則の考え方に、ⅰ 何人にも同等(同率)の負担を求める『水平的公平』と ⅱ 経済力のある人により大きな負担(援け合い)を求める『垂直的公平』がある。
 『水平的公平』の租税例は「消費税」(一律課税)である。『垂直的公平』の租税例は「所得税」(累進課税)である。

   近代税制の原則

 「経済的能力に応じて税を負担する」という“応能負担”は近代税制の原則である。
 フランス革命によって1789年採択された人権宣言は「(租税は)その能力に応じて平等に配分されなければならない」と明記された。
 この理念は、租税の徴収においても、租税の分配(社会保障の給付)においても同質である。
 日本国憲法に租税の応能負担原則は直接書かれていないが、戦後税制の出発点となったシャウプ勧告に基づく税制は、所得税を柱とし累進性を適用した応能負担原則が引き継がれている。

   税収不足を補うだけの増税は、応能負担原則に反する

 日本の税負担は所得再配分機能が低下していると言われている。要因は所得税の累進性の弱まりと消費税(国民一律負担)を基幹税収としている点である。
 所得税には超過累進制が使われている。所得が高くなればなるほど高い税率を適用するという制度である。
 かつて所得額の段階ごとに対応する税率の刻みは10%から75%の19段階であった。しかし現在は最高税率の引き下げと税率の刻みの縮減で5%から40%の6段階となった。最高税率も課税所得8000万超=75%から1800万超40%と大幅減税(富裕層)された。課税所得1800万超の者も10億円の者も同じ税率となり応能負担原則は大きく後退し金持ち優遇税制となっている。結果、税収不足を消費税(国民一律負担)増税で補おうとすることは「応能負担原則」に根本的に反する。

   所得税減税 ― 金持はベンツ1台、貧乏人はラーメン1杯

 政府は今回の「一体改革」で(国民の目をごまかすため)最高税率を45%に引き上げるとしているが微々たる引き上げ(増税額は150万円にすぎない)である。
 所得税減税によって1998年対比課税所得8000万超の者は毎年所得税のみで477万円の減税となった。一方、年収300万円の者は3万円程度の減税でしかなかった。
 数度にわたる所得税減税の効果は、金持には毎年ベンツ1台分、貧乏人には家族3人毎月ラーメン1杯である。
 さらに高額所得者の大きな部分を占めている金融所得に対しては低税率の分離課税であり、累進課税の適用もない。
 消費税の大増税で一般庶民を犠牲にする(税制)「一体改革」ではなく、富裕層増税を中心とした「応能負担」原則こそいま求められている税制改革である。

    人権無視の(税)滞納取り立て

 全国各地で(税)滞納者への厳しい取り立てが横行している。自殺にまで追い込まれた人もいる。
 「支払を待ってほしい」 「分割で納付できないか」 「病気の家族の医療費を優先させてほしい」との懇願にも 「それはお宅の都合」 「法にのっとってやっている」 と振り込まれたばかりの“生活保護費”や“子ども手当金”まで差し押さえている。
 憲法25条(生存権)「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」など眼中にない。(公務員は憲法を順守しなければならない義務がある)
 国民は納税の重要さ、義務は十分に承知している。公務員は安易な差押えではなく「払えないのはどうしてなのか」「どうしたら払えるのか」個々の事情をしっかり見て判断すべきである。