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  若者よ いでよ

 米タイム誌は年末恒例の企画として、「今年の人」を選んで表紙を飾っている。2011年の人は、中東で多くの独裁政権を覆す原動力となった「抗議者」(PROTESTER)を選んだ。特定の人ではなく、象徴としての若者である。
 タイム誌の選定に対してはいろいろな意見もあるが、アラブの春を引き起こした抗議行動は、若者たちのインターネットによる情報交換と連帯、そして自然発生的な抗議行動といういまどきの方法によって、軍隊や秘密警察などによるハードな抑圧機構を打ち砕く道を開いたのだから、歴史的視点を置いた鋭い選定として評価できる。
  同じ号では、東電福島原発事故に立ち向かっている作業員を「注目の人」とした。

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 去年の日本は多くの試練を受け、今も続いている。その状況の中で、政治はまったく力になっていない。それどころが政治家たちの立ち居振る舞いが国民にさらなる危機や負担を与えている。権力者たちは、アラブでは強権で国民を抑圧したが、日本では無策・無責任で国民を抑圧しており、抑圧感は似たりよったりである。
 そのなかで、鬱積している不満・不安の吐き出しと思える若者の犯罪が散見されるが、若者たちの怒りが伝わってこない。抗議行動は予感すらない。

 昨年末、日本の「今年の人」は誰かという企画では、AKB48がトップになったという。テレビでAKB48が登場しない日はないほどの勢いだし、歌も踊りも楽しいノリだ。気を抜いたり、癒しにはなるが……「抗議者」ほどのインパクトはない。
 それにしても、AKBのコンサート風景など見ると、若者の熱気はすさまじい。
 サッカーのサポーター、野球の応援団などもスタジアムのなかでの連帯と熱気はすさまじい。

 質が違うといえばそれまでだが、若者にエネルギーがないわけではない。何かのきっかけがあれば、きっと「抗議者」になり得ると信じたい。
 読売ジャイアンツのコーチ選任問題で、年寄りのゴリ押しに抗議した中年がいた。どうも年寄りの狡猾さにねじ伏せられそうだが、それでもこうした行動は世の中を変えていくひとつのきっかけになる。だが、所詮問題が小さすぎるし中高年ではインパクトがない。やはり、若者が世を震撼させなくては。
 去年は日本を揺さぶる若者の「抗議者」が生まれないまま閉じた。
 抗議すべき材料は山ほどある。今年に期待したい。