越生梅林は関東三大梅林のひとつです。
水戸偕楽園、熱海梅林と並び立つのが越生梅林です。
東京都民は、青梅梅林だろ、と勘違いしている人が多いのですが、残念でした!
なんといっても越生の梅。
ここからは越生を愛する者のしかも勝手な思い込みによる宣伝。
なんといっても越生梅林は太宰府天満宮と繋がっているのです。
太宰府天満宮といえば、都から左遷された菅原道真をおって、庭の梅が太宰府に飛んでいつた「飛梅」ちゃんを忘れてはいけません。それで、太宰府天満宮といえば梅と相成ったわけ。学問の神様、菅原道真と梅は、いってみれば二枚看板なんです。
その太宰府天満宮を分祀し、越生に小杉天満宮(現 梅園神社)を建立しました。
いうまでもなく、二枚看板の梅を小杉天満宮の周りに植えたのが越生梅林の起源なんです。(飛梅の子孫かどうかは謎。私は子孫ではないかと思っていますが、探ってみるのも楽しいと思いますよ)
というわけで、梅林脇にある梅園神社に参拝し、越生梅林でそこはかと匂う梅の香りを楽しめば、学問にも目覚めること間違いなし。
都落ち(左遷)の気分と、それを慰めてくれる梅を愛で、菅原道真になったつもりで和歌など口ずさむのも、いいと思いますよ。
東風吹かば にほひおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな
なお、菅原道真は太宰府に左遷された2年後に無念の涙をのみながら死んでいます。
その後、怨霊(雷神)となって彼を左遷した都の貴族たちを次々と死に追いやっています。
その祟りを恐れた朝廷が、北野天満宮を創建することとし、菅原一族に管理させることとしました。そこで、道真を学問の神として祀り、祟りを沈めたのです。
というわけで、菅原道真自身は太宰府で梅を見ながら風雅を楽しんでいたわけではなく、梅の枝をバキバキ折りながら怨念を掻き立てていたわけで、実は結構ギタギタした話なんです。
そこで改めて、東風吹かばの歌をみると、絶対に都に返り咲いてやるぞという怨念が読み取れるとおもいますが、みなさんはいかがですか?
いかがでしょうか。越生梅林の梅まつりに来ていただければ、菅原のみっちゃんとも語り合えて、楽しいですよ。
昨年に続き、コロナ対策を取っていただきながらのお越しを、心からお待ち申し上げます。
<お祭りのお誘いチラシです。クリックで拡大します>