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   排除の究極は殺人

 日本学術会議の任命で政府は6名の推薦者を排除した。
 この問題、今後も国会で取り上げられるだろうが、少し別の角度から見ることができる。
 端的に言えば、人間を排除する究極の手段は殺人である。
 自分が気に食わないやつは消してしまいたいとか、何かと重荷になるやつから逃れたいと思うのはごく一般的な感情として大抵の人は持っているのではないだろうか。
 そんなとき、「死ね」「殺してやりたい」という思いが心に沈殿する。だが、それを実行することはまれだ。理性や社会規範、自己防衛などさまざまな規制が働くからだ。
 しかし、それでも殺人事件は後を絶たない。殺人を実行するものは、一時の感情にせよ、長年の蓄積にしろ、規制を上回る動機があって行為に及ぶ。
 だから、殺人事件では動機の解明が重要となる。
 検事は「動機はなんですか?」と聞く。答えなければ「動機がないはずはないでしょう」としつこく追及し、それでも供述しない場合やあやふやな場合は、被疑者を精神鑑定し、責任能力の有無を判定することになる。
 その結果、場合によっては心神耗弱・心神喪失で罪が問われないかもしれない。その場合は精神病院送りとなるが。

   任命拒否と殺人は根に同じ排除の論理

 さて、日本学術会議の任命拒否を殺人事件に敷衍して考えてみよう。
 総理大臣が任命することになっているから、任命権者は総理大臣であり、それ以外のものは任命権を持たない。任命にあたって注進することはできるが、決定するのは総理大臣その人である。
 学術会議は105名を推薦したが、このうち6名が外されて総理大臣に任命名簿が提示されたようだ。総理大臣はそれをそのまま任命した。いまのところ、総理大臣は6名が外されたことを認識しないまま任命したと政府は説明している。
 これ自体、完全な法律違反だ。そんなことも分からずに政府として答弁したこと自体、なんとも間抜けな話である。だが、そんなこともお構いなしに、政府としてやったことだと明言している。だから、排除の真犯人は内閣総理大臣であると政府自体が表明しているわけだ。

 犯人は明らかになり、特定の人を排除したという事件を起こしたことも消えない。
 その事件を解明するには、動機が不可欠となる。特定の人を排除することは、殺人と同じ構造であるから、動機が解明されてはじめて事件の真相が明らかになる。また、実行犯の責任能力の所在も確定する。

   動機を語らず

 検事役の野党や報道記者が動機は何かと質問しても、犯人は「総合的・俯瞰的」な判断だという。
ある人がある人を殺して捕まった。検事が犯人に対して「動機は何だ」と聞いたところ、「総合的・俯瞰的判断からあいつを殺しました」といいはる。
検事がその言い分を異常だと認識せず、妥当な動機だと認めたとしたらどうなるであろう。おそらく殺人行為はかなり蔓延するのではないだろうか。
ある人にとって、直接的な恐怖や圧力や居た堪れない気持ちを持つ相手でなくても、不愉快な人、面倒くさい人、目障りな人、役に立たない人などは、総合的・俯瞰的に見て排除、その究極として抹殺し社会から排除しても、一応正当な動機とだと社会が認容するにひとしい。犯人は罪に問われたとしても、私には立派な動機があったのだと万人が考えたとしても非難できまい。理由なき殺人がはびこる社会になりかねない。
 人類は歴史の歩みの中で、誰かの勝手な思いによる理不尽な排除を認めない。それが歴史の到達点である。どうとでもなる動機を認めるとしたら、万人の万人どうしによる殺人狂時代となる。
だ から、現代司法においては、動機を何度聞いても「総合的・俯瞰的判断から殺した」としか言わない場合、そこには具体的動機がないため動機を探るべく精神鑑定に回すことになる。
 法を犯し、人を排除する動機も語れないような人間は精神に異常があるというのが司法の長年にわたる対処方針だ。

 この事件に対する現政権の対応をみると、どうみても、何人かの政府高官は精神鑑定を受ける必要があるのではないか。まともに動機を語れないのだから。
まさかではあるが精神異常で責任能力なしを狙っているのかもしれない。

      歴史の逆行

 今回の任命拒否事件は絶対にうやむやにしてはならない。絶対に何らかの決着をつけなければならない歴史的事件なのだ。
 殺人の動機を引き合いに出して揶揄したが、はっきり言わなければわからない若い人たちもいるだろうから、改めて今回の政府の対応を糾弾する。
 排除された6人は安倍政権の諸政策に反対を表明したり、間違いだと指摘した人たちだ。
 安倍政権にすれば、「反逆者」である。その反逆者を憲法に違反して排除したということだ。
 端的に言えば、反逆罪で死刑にしたに等しい。日本にそれを許す法律はない。まさに無法である。
 アジア太平洋戦争で敗戦する前の日本帝国主義における軍事国家による国民支配や、ヒットラーの独裁政権が行った蛮行と同じといえる事態が、いま行われているのだ。
 これをうやむやにすれば、自由も民主主義もはく奪されていくことを許すことになる。
 自由にものも言えない社会を作らせてはいけない。
 菅政権は即時に退陣させなければならない。危険すぎる。