新型コロナウィルスが不気味に拡散している。この拡散と反比例して、安部首相の支持率が低下し、不支持と逆転現象が起きている。
なぜだろうか。安倍政権を退陣させるような変化が起きているのだろうか。少し考えてみたい。
不満渦巻くのに高支持率
経済格差が拡大し、多くの人々は可処分所得が増えず生活や将来に不安を持っているのに、老人たちは老後資金が2千万円必要と言われ不安になっているのに、若者たちは非正規社員で年収200万円で結婚もできないと不安になっているのに、結婚して子供を授かったら保育園に入れず「保育園落ちた!日本死ね!」と叫ぶほど子育ても再就職も不安になっているのに、安倍政権の支持率は異常ともいえる高率を維持してきた。
これらは本来、アベノミクスが成果を上げ、「女性活躍社会」が実現していれば、多くは解消されるか解消に向かっていることが実感されるので、支持率が高率になるということは理解できる。
しかし、成果はまったくないといってよい。そのことは多くの国民も知っている。
だが、これらの経済政策の未成果で支持率が下がることはなかった。
それは、「経済が成長すればすべてうまく解決する」という幻想をあたかも「正しい論理」であるかのように繰り返し言いつのり、俺に任せればうまくいくとばかりになんでもありの政策を打ち出すことで、多くの不満を抱える国民の心を掴んだことにある。
つまり、アベノミクスなどのネーミングのうまさ、巧みさが何より重要であった。
世代間対立をあおることになる「全世代型社会保障」などもその代表格だ。
こうしたネーミングの巧みさによって、国民の6割と言われている無党派層で、不安・不信・不満を抱える日本国民の圧倒的多数の怒りをくみ上げているのが安倍政権だといえる。
こうした虚構に対抗する野党に、国民が期待するネーミングが打ち出されていないといえるから、高支持率は維持され続けることになっていた。ポピュリズムの台頭と継続の図式である。
「アベノケア」なるネーミングが打ち出せない
しかし、新型コロナウィルスに対しては、ネーミングで国民の心をとらえることはできない。
「アベノケア」で新型コロナウィルスを撃退する、アベノケアで罹患してもすぐ直すとネーミングの巧みさで国民の怒りをくみ上げることはできないからだ。
仮に安部さんがそれを打ち出したとしたら、どうだろうか。
マスクひとつを見ても、まったく手に入らないのだから、政府の無策が現実問題として国民に突き付けられている。
マスクひとつ適切に対策を打ち出せない安倍政権が、危機管理能力の無能さをさらけ出す姿を見て、ネーミングの巧みさの無力さを感じ取り、ポピュリズムに支持を与えても自分や家族の健康は守れないことを感じたと思われる。
これが、安倍政権の支持率の低下になったと筆者は考える。
新型コロナウィルスは蝙蝠が原因だといわれている。
世界的に席巻している感のあるポピュリズムの危うい実態を、蝙蝠によって教えられるとしたら、それでもよかったととらえるべきか、情けないととらえるべきか。