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    三谷幸喜最新作の映画

 三谷幸喜が作る映画はみんな面白いが、この映画も館内に笑いがあふれた。
 映画の題名は、「記憶にございません!」
 支持率2.3%のサイテー総理大臣が主人公。セクハラや不倫をしている総理で、それはそれは、もうサイテー。
 国会答弁では「記憶にございません!」を繰り返し、まともな答弁をしない。第二国会議事堂をつくる計画で建設会社からわいろも受取っている。
 まあ、何人かの歴代総理を思い浮かべると、ああ、こんな総理がいたなぁ、あれ、これはあの人がモデルかなどと、妙に既視感がある。
 しかも裏の総理として、官房長官が実質的に政治を動かしいるというのだから、ますます興味がそそられる仕組み。

 この総理が演説中に、聴衆から投げられた石が頭に当たる。それが原因で記憶喪失になってしまった。そこからドタバタ劇が展開されるが、ここは三谷幸喜が得意とするところで、観客を笑わせる。
 が、どういうわけか記憶喪失になった途端、どうしようもないサイテーの総理がいい人になってしまい、しかも民主主義とは何かにまで思いを致す人間になった。
 官房長官はそれ以前の総理に引き戻そうとするのだが、総理の秘書たちが妙に政治に対して志の高いものたちがそろっていて、見事まともに政治が運営されていくかの筋書きとなり、この総理も、もともとは理想も高くまともな政治をやろうとしていた人として描かれる。

 まあ、深く考えず、エンターテイメントとして楽しむ分にはそれでいいと思う。
 何となく今の政治状況を批判し、こうあるべきだ的なエンドマークでいまの政治に対する賛否は別として、とりあえずは納得して映画館を出ることになろう。

   ちょっとした感想

 だが、筆者は物足りなさを感じた。
 現政権をおちょくるのであれば、もっと徹底したおちょくり方があろうが、中途半端感が否めない。
 なんといっても、憲法改正と戦争への執着が政治課題になっているとき、それに対するメッセージがないためだ。
 つまり、笑って終わり。そのあと、何かを真剣に考えなくてもいいのである。

 そうなると、どうしても、チャップリンの「独裁者」と比較してしまう。
 この映画でチャップリンは、最後の6分間でヒトラーやナチズムに対する痛烈なメッセージを残した。
 それに対し、「容共的」との批判が起きたり、賛否が渦まいた。
 国によっては上演禁止とするところもあった。喜劇であるのに、それほどのインパクトを与えたのである。

 ときは今、「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展」が中止に追い込まれた時代である。
 「記憶にございません!」が「上演中止」に追い込まれるような嫌がらせにさらされることもないだろうし、チャップリンの「独裁者」に対する賛否のような反応がこの映画に対して起きるとも思えない。

 ちょっと酷な評価となってしまったが、筆者はこれまでの三谷幸喜作品を高く評価している。どうか、少し世間を騒がせるような作品を次回はお願いしたいものだ。