5月1日から元号が変わる。4月は平成最後の月となる。
その太平洋戦争で敗戦した日本は、国際的にも国内的にも「膨張主義」と決別し、「平和主義」という新たな理念を希求していかざるを得なかった。
この理念を表明したのが憲法である。
昭和21年11月3日に公布された日本国憲法。それ以後、平成の最後まで「平和主義」が貫徹され、朝鮮戦争以後東アジアにおいて戦争の災禍を生じさせない要因になってきた。
次の元号以降もこの理念を引き継がなければならない。
だが、戦争の災禍や記憶が薄れていくにつれ、この理念のもっている意義も薄れ、次の時代に継承されるかがいま大きな試練に立っている。
戦争の災禍の具体的記憶として、筆者の家族について記しておきたい。
私の長兄は北方のどこかで戦死した。死に場所は分からず遺骨は帰っていない。
国鉄職員であった父は、鉄道敷設の軍属として中国からジャワに赴き、ジャワで敗戦となり2年間捕虜生活をした。そのとき怒りにはやった現地の住民に収容所が襲われ、もう少しで殺されかけたところをオランダ軍にかろうじて救助された経験を持つ。
妻の叔母は2人が3月10日の東京大空襲で死んでいる。そのとき、妻の祖父はかろうじて難を逃れた。
妻の伯父はフィリッピンで戦死している。遺骨は帰っていない。
私の兄も、妻の伯父も職業軍人ではない。赤紙で駆り出された人だ。
太平洋戦争の僅か5年の間に、私と妻の家族は4人が殺され、2人が殺されかけた。私と私の家族にとって、戦争の災禍は身近な現実問題である。
もし戦争となれば、災禍は私の家族がこうむった災禍の比ではないだろう。殲滅的な兵器開発で、前線も後衛も銃後も無関係に、その災禍は想像を絶するものとなろう。
平和主義を理念として国を運営していくと宣言しているのが、憲法の前文と第9条である。これからを担う若い人や子供たちにこの憲法と平和主義を引き継がなくてはならない。それが彼らを守り繁栄させる最大の保障となる。
いま、新元号のもとでこれを変えようという動きがある。第9条に自衛隊を書き込むと具体的な改憲案を提示している政治指導者がいる。そして書き加えても何も変わらないと人を食った話をのうのうと垂れている。こうしたまやかしに半ば騙されて、私の家族の災禍が起きた。
もう少し端的にいおう。戦争準備と戦争は、ある者たちにとっては最大の金儲けになる。国民の命を守ろうなどと思ってはいないのだ。
平成最後の月。国民として、戦後の昭和と平成は憲法との関係でどのような時代だったのかを考え、次の時代に何を引き継ぐのかを真剣に考えて次の元号を迎え、行動したい。