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  人間社会のありようは・・・・

 一連の消えた高齢者問題のきっかけになった足立区の111歳男性が自宅でミイラ化した遺体になっていた事件。30年以上も前に死んでいたようだが、ずっと存命を装い年金を詐取したとして家族が逮捕された。
 各自治体が調査をすると長崎県壱岐では200歳、山口県では186歳が戸籍上健在だという。滋賀182歳、山形173歳、香川169歳・・・。出るは出るわ。こうなると150歳なんて鼻たれ小僧の扱いだ。

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 日本の戸籍制度は世界に誇る精度と信頼性をもっているという向きもあるが、どうも怪しい。行政の限界といえる。一方で行政はそこまででよいともいえる。
 松本清張の「砂の器」が頭をよぎる。ピアニスト和賀英良は戦後のどさくさにまぎれて他人の戸籍を取得し、上流階級の仲間入りを果たす。戦後の混乱期という特殊時代の産物かと思いきや、いまでも死んでいるものを生きているようにできるのだから、推理小説のネタはつきない。事実は小説よりも奇なり、とはよく言ったものだ。
 どのように規制しようが、行き着くところは日本社会を構成する人間個々人の倫理に帰着するということが改めて教えられたわけだ。

 給付つき税額控除に影響するか

 給付つき税額控除を実施する場合、世帯主と扶養の関係は申請方式にならざるを得ない。これら一連の事件と行政の限界を見ると、給付つき税額控除は不正受給が避けられないとみるべきだろう。だが、羹に懲りてなますを吹くの喩のように、不正受給防止に重きを置くと手を差し伸べなくてはならないところに給付が届かないという事態がおきうる。
 要は政策の主眼は何かということだろう。低所得者に対する社会保障との位置づけを明確にし、そのうえで、公正にかつもれなくいきわたらせる行政の責任を真正面から認識すべきだ。そのときに入り口と出口のどちらに重点を置くかは、行政の割り切り方である。

 番号制度は不正受給と無関係だが
  
国民総背番号制へあおる恐れ

 番号制度下でも給付つき税額控除の不正受給が20%もあるというアメリカの実態を民主党は十分に分かっているにもかかわらず、民主党は給付つき税額控除を実施する前提として、納税者番号制度の導入と歳入庁創設を掲げている。
 一連の事件を奇禍として、納税者番号制度導入は弾みがつきそうで油断がならない。
 不正受給防止が目的だが、そのためには家族構成や年収、資産の保有状況、各種税金の納付状況、社会保険の加入と社会保険料支払額など、個人をほぼ丸裸にする情報の管理に帰着する。納税者番号というが、実体は国民総背番号制である。こうした管理社会は、民主的な機関によって番号と情報管理が行われ、民主的に規制できるシステムにはならない。その情報支配が為政者に握られるため、為政者の姿勢ひとつで国民にとって危険なものとなる。
 消えた高齢者問題で、がんじがらめではない日本がある意味で確認されたわけだ。たしかに消えた年金、消えた高齢者は行政のふがいなさを露呈するもので、これは直してもらわないといけない。だからといって、国民総背番号制による管理社会に結び付ける煽りに乗るのは、かなり危険だと自覚したい。