政治と官僚の関係 これでよいのか ?
ここ数年、官僚をめぐってさまざまな問題が生じている。森友・加計問題から桜を見る会、東京高検検事長の任期延長問題、総務省幹部官僚の高額接待・・・など、問題が一気に噴出している。
一方、現場の官僚が自殺に追い込まれた。
官僚は、何を憚っているのか? 真相究明どころか、隠蔽・改ざん・ウソを繰り返し、国民には見向きもせず、政治家のみを恐れている。
近年、若手官僚の退職が増加している。 問題が取り上げられると国会論議となり、「記憶にございません。」を繰り返す。 結果、その官僚は処分を受け、辞職していき、幕引きとなる。
ほぼ一様に“官僚の不始末”と片付けられ、官僚のみに全ての責任を帰し、政治家は何のお咎めもなく、平然としている。
政治と官僚の関係これで良いのか? 公務員は政治家の下僕に成り下がったのか? 公務員は(国民の)公僕ではなかったのか?
人事権を握った政府の横暴が 政治の劣化に
政官関係は国において統治の基本であるが、官僚は政策で政治に対抗し、政治はその政策を提起する。そして、国民にとって何をなすべきかを国会で議論し、国民に明らかにする。 この透明性こそが民主主義の基本である。
官僚は、国民を幸福に導くべき、国益を直接担う・公共の利益に尽くしたい。 と、より良い政策立案に関われるという崇高な理念で入省したはずだ。それが、出世が第一目的となり、人事を握った政治家<内閣人事局>にオモネ、忖度、委縮する。 民主主義の危機である。
この根源ともいえる政治と官僚の関係<官僚の人事をめぐる課題>を置き去りにすることなく、真剣に議論し、是正していかなければ、安倍・菅(自公)政権は取り返しのつかない過ちを犯す恐れがある。 過ちを犯してからでは遅い。
「菅案件」がもたらす別格意識
『上行えば 下効う』 元総務大臣.片山善博氏(2021.3.23朝日新聞「公論」より)
「私が総務相だった10年前までは、どの官庁も接待は厳に自重する雰囲気がありました。それは1998年に東京地検特捜部に摘発された旧大蔵省の接待汚職の記憶が生々しかったからです。しかし、この10年で状況が変わったなという印象です」
「一つは、霞が関で『官邸主導』が強まったことです。従来は政策の多くは各省庁から出ていましたが、安倍政権以来、官邸から各省庁に下りてくる習わしです。」
略
『菅案件』では総務官僚のポジションが上がり、格別意識を持つに至った可能性はあります。」
略
「・・・在任中に左遷とも取れる人事を行い、その衝撃は省内に知れ渡っています。そんな菅さんを総務官僚は無視できないでしょう。」
「最近の官僚は会食慣れしていると感じます。・・・略・・・『菅さんに誘われ、一緒に飯を食った』と得意げに話す官僚もいます。菅さんの長男との酒席に呼ばれた官僚には・・・」
「・・・森友学園問題で、財務省をはじめ霞が関の官僚たちが安倍晋三首相の妻・昭恵さんにどれほど気を使っていたか国民は知っています」
略
「『上<かみ>行えば、下効<しもなら>う』です。」
略
きっかけは 「ふるさと納税」? 菅総務大臣
『真摯に・丁寧に説明責任を』・『私も、私の家族も、関わっていたら総理大臣も議員も辞職する』・・・そんな言葉を何回聞いただろうか! 都合が悪くなると「記憶にございません」・「個別のことはお答えできません」「今、捜査中なのでお答えを控えさせていただきます」・・・ 結果、真相は闇の中に消えても、真摯に・丁寧な説明を聞いたことは一度もない。
都合が悪くなると“過去の文書を書き換え” “組織的に公文書を改ざん” “国会で嘘の答弁をする”・・・ 民主主義の根幹を揺るがす、許されざる行為に至る。
これらのきっかけは、安倍首相・菅総務大臣時代(ふるさと納税法案の強行)からとも言われる。
政治がすべてを動かす。 ・・・ 戦前に逆戻りし始めた感がある。
司法も、忖度や委縮 ?